Lacrimosa

葬儀はいるのかいらないのか。

 島田裕巳氏の「葬式は、要らない」という書籍が出ている様に、葬儀に関する考え方は様々ありますが、実際に親や近しい人の死を経験している上に、以前葬儀の仕事にも携わっていた私の考えを書いてみます。

 結論から言うと、葬儀は必要ですが、形式は人の数だけあっていいと思います。

 葬儀はその人の生きて来た結果です。

 生前から自分の先祖代々墓と付き合いがあり、社会的な地位も明確な方なら、戒名をつけて立派な仏式の葬儀を執り行う必要があるだろうし、お寺との付き合いもなく、家族とのやり取りだけが心の拠り所であった方は、特に宗教家を呼ぶ必要もなく、家族だけの葬儀を執り行えばいいと考えます。

 江戸時代から昭和初期までは、大抵の家には菩提寺があり、それぞれの宗派も明確であったと思うので、仏式の葬儀と戒名は必要でしたが、核家族化が進んだ現代において、自分の家の菩提寺もわからないのに葬儀の時だけ僧侶を呼んでお経をあげてもらい、戒名までつけるのはいかがなものかとも思います。

 かと言って、葬儀もあげず、事務処理的に火葬してお役所に届けを出すだけというのも、一人の人間が生きた証として、その遺族が行う手続きとしては心なさ過ぎると思ってしまいます。

 要は、その人がどの様に生き、どの様な死生観、宗教観を持ち、いかにして人と関わって来たか、そしてその方を残された人がどう送るか、それこそが葬儀の在り方なのです。

 だから、自分が生きている間に死んだ後のことを心配する必要はないと思います。必ず、生き方を見ていた人が、ふさわしい送り方をしてくれる筈なのです。

 


Mozart Requiem 8,Lacrimosa