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Arioso

 お墓はいるのかいらないのか。

 「私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません」という歌が流行ったことがありましたね。

 さて、私は見えない世界の話をすることは基本的に好きではありませんので普段そういう話は滅多にしませんが、今迄かなり不思議なことを数多く体験しています。それをこのブログで語るつもりはありませんが、結論から言うとお墓は必要です。

 そもそも人間と動物の違いは、二足歩行でも道具を使うことでもなく、死者を弔うかどうかだと思います。動物でも身内が亡くなれば悲しみますが、葬祭を行ったりお墓を作ったりはしません。ネアンデルタール人が死者に花を手向けたことは化石で判明していますし、人類の数ある文化、例えば絵画、音楽、演劇、舞踊、スポーツ、芸能などは、そもそも葬祭を起源とする祭典から始まり、遠心分離的に進化して現在の形となって生活に根付いています。

 亡くなった方がずっとお墓いる訳でもなく眠ってもいないとは思いますが、お墓を中継地点としてこの世とあの世がつながることは自分の経験から確かだと考えています。親族がお墓参りに行けばご先祖はその時お墓に来ます。面会所、待合室の様な場所だと思うのです。

 各家庭に菩提寺があった頃は先祖代々の繋がりが深かったと思いますし、現代の様に合祀墓、納骨堂の場合は、面会所に沢山の人が集まるというイメージです。

 ここ数年、お寺を母体とした永代供養墓、無宗教墓が増えたのは、江戸時代まで区役所の役割を担っていたお寺、仏教が取り仕切っていたあちらの世界も、かなり変化したということでしょう。

 家族でお墓参りに行き、お供えをし、故人を偲んで皆で食事などをして帰る、この行為が、古代から現代まで私たち人としての存在が代々続いて来た証ではないかと考えています。

 


J S バッハ:アリオーソ 第二楽章ラルゴ(J.S.Bach:Concerto No.5 in F-minor for Harpsichord and Strings BWV.1056 )