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Étude op.10 nº3

 戒名はいるのかいらないのか。

 葬儀もしくは納骨の時、近しい人の位牌に、僧侶につけてもらった見慣れない名前が書かれ、お墓にも彫られている。慣れ親しんだその人の名前は、俗名として位牌やお墓の後ろにひっそりと書かれていることに、違和感を感じる人も多いことでしょう。

 そもそも戒名は、死後につけられるものではなく、仏門に入り、受戒を受けた人に与えられるものでした。戦国武将の武田「信玄」、上杉「謙信」、大友「宗麟」は皆戒名です。生前に、堂々と戒名を名乗っていた訳です。

 それが、江戸時代に入り、寺請制度が設けられてからは、お寺が今で言う区役所の役割を担う様になり、国民は、何れかの寺院を菩提寺と定め、その檀家となることを義務付けられました。そして各家庭には仏壇が置かれ、亡くなれば寺への貢献度に応じて戒名がつけられ、法要の際には僧侶を招くという慣習が定まり、寺院に一定の収入と信徒が保証される様になりました。それが明治維新廃仏毀釈まで延々と続いた訳で、今残っている慣習もその名残です。仏教という宗教的な意味合いよりは、国家政策の一環としてのお役所としての役割に限りなく近いのです。

 しかし、核家族化が進んだ現代においてもこの制度に固執していては、お寺も存続が危うくなるのは目に見えています。最近、永代供養墓、無宗教墓の開設にお寺が力を入れる様になって来たのも、時代の流れによるものです。

 戒名がいるいらないの問題は、どのような葬儀、納骨をするかによって変わって来ます。そして、亡くなられた方が高い戒名をつけられたからと言ってその人に何らかのメリットがある由もなく、あくまで残された側の気持ちの問題に他なりません。戒名があろうがなかろうが亡くなった人とは二度と会えない、送る側が、真心を込めて、亡くなった後もその人の思い出を胸に共に生きることが、一番大切であると思います。

 来月は母の納骨、勿論戒名はありません。私もこの世を去る時は俗名のまま、後に続こうと考えています。


ショパン 別れの曲