Live and let die

 今、SNSで「死にたい」と訴える人のことが社会問題になっている。


 これは、SNSの時代だからではなく、人間である限り、「死にたい」という気持ちになったことがない人はいないと私は思う。


 私自身、「死にたい」と口にしたことは過去何度もあるし、親しい人からこの言葉を聞いたこともあり、それ程親しくない人からもこ聞いたこともある。


 この言葉を口にする時、本当に死にたい時もあれば、単に生き辛いだけの時もある。何もかもどうでもよくなっている時に出る場合もある。


 それ程、生きるのは容易ではない。まず稼がなければならない。生きるためには食べて排泄しなければならない。健康上の理由、経済的理由一つでそれが不自由だと死にたくなって当然である。生きるということはそれだけ大変なことだと思う。


 その大変な人生を共に生きるために家族があり、仲間があり、友人がいる。「死にたい」と言う家族、友人、仲間を、自分もその気持ちを共有しながら、時には励まし、共感し、時には同調せず無言で表現する。それが人間関係である。


 問題は、SNSの場合、人と人との本音の交流がある様でない。


 相手の反応があっても自問自答に近い。だから、わかった様な反応にすぐに騙されることもある。生身の人間関係では得られない共感を自分で作り上げてしまうからだ。経験値が浅く純粋な人ほど騙されやすく、そこに付け入る確信犯も多い。


 まず言いたいのは、「死にたい」と言う気持ちは不自然ではなく誰もが感じる気持ちだということだ。その上で、死ぬまで生き続けるのが人間の「生命」、読んで字の如く「生」という「命令」だと思えばいい。生き続ければ必ず死ぬ。急ぐことはない。

 


Paul McCartney & Wings - Live and let die 1976